今日の私 2022/03/18 [日々の想い]
seikolute#東京春音楽祭 #フェルメールと17世紀オランダ絵画展 記念コンサート 3月20日(日)14時開演@東京都美術館講堂 名倉亜矢子(ソプラノ)永田斉子(リュート) ライブチケット2500円 配信チケット730円 詳細情報&プログ… https://t.co/hcRrRmsAQC03/17 15:41 seikolute<裏>プログラム解説 1.「ホイヘンスをやる時が来た!」 東京・春・音楽祭から「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に関連した企画を、との依頼を受けて、最初に思ったのがこれだ。 20年前に音大図書館で丸ごとコピーした楽譜がそのまま演奏の機会を待っていた。03/17 15:45 seikolute2.ホイヘンスは1596年生まれ、1687年没、90年を生きた。この時代にしては驚異的な長寿だろう。フェルメール(1632-1675)の人生がすっぽり重なる。 この展示会にはフェルメールの他に、レンブラントの「若きサスキアの肖像」… https://t.co/T8whAkgSpL03/17 15:46 seikolute3.プログラムは、ホイヘンスを軸として、彼と関わりのあった作曲家、そしてオランダ周辺の地域の17世紀の作品でまとめることにしよう。03/17 15:49 seikolute4.ところで、北フランスから今で言うベルギー、オランダをまたがる地方はかつて「フランドル地方」と呼ばれ、ジョスカン・デ・プレなど優れた音楽家を輩出した地域であった。 それが「オランダ」と区別されるようになった分岐点はどこにあるのだろう。03/17 15:49 seikolute5.16世紀フランドルの一部、ネーデルラント17州は、カール5世〜フェリペ2世と、カトリック国スペイン・ハプスブルグ家の支配下にあった。 しかし、宗教改革後、勢力を増してきたプロテスタント(カルヴァン派)はスペインに反発、ネーデルラントの北部7州は八十年戦争へと。03/17 15:53 seikolute6.ついに1648年、独立しネーデルラント連邦共和国(オランダ)となるが、実質上1609年には独立したと言って良い。 一方、ネーデルラント南部はカトリック教徒の比率も多く、そのままスペイン・ハプスブルグ家の支配下に留まる。ベルギーとして独立するのはそれから約200年後であった。03/17 15:55 seikolute7.さて、今回のプログラムはE.アドリアンセンの作品から始まる。 このアドリアンセンを私は長いことオランダの作曲家だと誤解していた。アントウェルペンのリュート奏者であったので、カトリック支配下に留まった側、南部ネーデルラント在住の作曲家であった。03/17 16:00 seikolute8.ネーデルラントをオランダの英語表記と混同してしまったのだろう。オランダではなく今のベルギーだ。 アドリアンセン自身は子どもの洗礼記録などからカルヴァン派であったらしいが、アントウェルペンがスペインによって制圧された後は表向きカトリック教徒のフリをして自衛団の活動も行っていた。03/17 16:02 seikolute9.1584年に曲集『音楽の牧場』を出版、この曲集は1600年までに数回にわたって改編しつつ版を重ねた。リュートソロ曲を4曲聴いていただくが、その一曲「美しい女性のためのアルマンド」は、着位したばかりのスペイン・ハプスブルグ家のイ… https://t.co/v63FGuBawB03/17 16:03 seikolute10.少しおべっかっぽい要素を感じるのは私だけだろうか。 この曲集にはリュート伴奏つきの4声のシャンソンやマドリガルなど声楽曲も数多く収録されており、J.プランソン作曲のフランス語の歌曲「うるわしき五月の朝露が」はその中の一曲。 死後、家族はオランダに移住した。03/17 16:04 seikolute11.次の「若い娘」はフランスの作者不詳の作品で、この旋律に基づく変奏曲や替え歌が多く作曲された。 ヴィオール奏者・サント=コロンブとマラン・マレを描いた映画「めぐり逢う朝」で、幼い娘たちがこの曲を歌い合奏するシーンで用いられた曲といえば思い当たる方も多いだろう。03/17 16:06 seikolute12.原型の「若い娘」をリュートソロで(編曲・永田)。続いて、その旋律に16世紀の詩人ジル・デュラン・ド・ラ・ベルジュリーによる詩をつけた替え歌「恋人よ、もし君の心が」を演奏する。 このように既存の旋律に歌詞を新しくつけるというこ… https://t.co/BFgm2mx9Rx03/17 16:07 seikolute13.これは17世紀初めに出版されたJ.B.ブザールの曲集『音楽の財宝』に収められている。03/17 16:09 seikolute14.さて、先に述べたオランダが独立に至る戦争で指導的役割を果たしたのが、オラニエ公(オレンジ公)ウィレム1世だった。 沈黙公の異名を持ち、強烈なオーラを持った指導者だったが、暗殺され、その志は息子たちに引き継がれる。03/17 16:12 seikolute15.このオラニエ公の王子たちの秘書官であり、オラニエ家の財政管理をしていたのが、今回プログラムの軸に据えたコンスタンティン・ホイヘンスであった。 彼は代々、政務官の家系の生まれであり、早くからその身分に相応しい教育を受け、特にリュートの演奏に早くから才覚を現した。03/17 16:13 seikolute16.秘書官の仕事の傍ら、詩人、作曲家として、創作に励み、生涯に769曲を遺している。長生きはするものである。 ホイヘンスといえば「ホイヘンスの原理」を思い出す人も多いだろう。この科学者クリスティアン・ホイヘンスは、コンスタンティンの長男にあたる。03/17 16:14 seikolute17.ホイヘンス(父)はガリレオ・ガリレイがオランダ滞在中に(望遠鏡のレンズを調達のため?)交流を持っており、このガリレイとの出会いが、長男の人生に大きな影響を与えることとなった。次男は政務官を務めながら、父親の詩人としての才能を受け継ぐ。03/17 16:16 seikolute18.この次男は、宮廷生活におけるスキャンダルやゴシップなどを内部から克明に記録した書物で名を残している。03/17 16:17 seikolute19.オランダ独立戦争の過程で、北部ネーデルラントはイギリスとフランスに助けを求めた。イギリスはもちろん反スペインなので応援、フランスもカトリック国であるが、宗教的対立よりも、反スペインという立場を優先して北部ネーデルラント側についた。03/17 16:20 seikolute20.ホイヘンスは外交官として、若くから両国を訪ねており、両国の宮廷での音楽が彼の音楽にも影響を与えたことは想像に難くない。 フランス・アンリ4世の宮廷に仕えた音楽家、P.ゲドロンの作品を敬愛していたのか、その旋律に、自作の詩をつけた替え歌も遺したりしている。03/17 16:20 seikolute21.そこでホイヘンスに先立ち、まずはゲドロンの「宮廷歌曲集」から、牧歌的な歌詞を持つ「ある日恋するシルヴィーは」をお聴き頂こう。リュートはタブラチュア譜による伴奏。03/17 16:21 seikolute22.それを先導する「前奏曲」および歌のあとに続くリュートソロ2曲は、R.バラール2世の作曲によるもの。 R.バラール2世は、いとこ同士で起業した楽譜出版業者ル・ロワ=バラールの初代R.バラールの次男にあたり、少年国王ルイ13世の… https://t.co/fpTcCLYClq03/17 16:22 seikolute23.「前奏曲」(アントレ)は入場曲、「天使の踊り」は優雅な3拍子の舞曲、「村のブランル」は身体を左右に揺らして踊る2拍子の田園風舞曲。03/17 16:23 seikolute連続ツイート失礼しております。 ちょっとバナナと卵を買いに行ってくる!03/17 16:39
2022-03-18 00:01
nice!(0)