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「シェイクスピア時代のリュート音楽」@東京、終了 [コンサートのご報告]


2016年9月25日、東京・中野にあるSpace415での「シェイクスピア時代のリュート音楽」公演は
満席のお客様をお迎えして、無事に終了いたしました。

ご来場のお客さま、Space415のオーナーさん、広報にご協力下さった皆さま、
どうもありがとうございました。




東京での公演は久しぶりだったこともあり、
遠方からご来場の方、本当に久しぶりにお会いする方、など、
【再会】の幸せを感じた公演となりました。

一方で、今回初めて私のサロンコンサートにご来場の方、初めてリュートを聴く方、
若い方、など新しい展開もありました。

これもまた【リュートの広がり】を感じさせる嬉しいことですね。




静音設計の冷房をかけっぱなしにしたにもかかわらず、
途中で、指が汗かいてきて、弦がくっついてきて、ちょっと困りました。

そういえば、今までこのような状況では、手にベビーパウダーをうっすらはたいて臨んでいたな、
と終わってから思い出しましたよ。

それを控え室で見た共演者から「これから鉄棒の競技ですか?(笑)」とかからかわれたりして。

これが一つ反省点ではあります。




seiko2016925.jpg


Space415を サロン風に横長の囲みで椅子を配置した会場(写真撮り忘れましたが)が、
リュートを弾くには理想的な響き、お客様との距離感で、とても気に入りました。

また今後もリュートサロン、続けていきますので、皆様どうぞよろしくお願いします。

次回は、フランスものをやろうかなーと思っています。



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9月25日コンサート満席となりました [コンサートのお知らせ]


公式サイトの更新がシステム不具合で上手くいかないので、こちらでお知らせします。

本日9月25日の「シェイクスピア時代のリュート音楽」コンサートは
お蔭で、ご予約のお客様で満席となっております。

当日券はご用意いたしませんが「立ち見でも構わない」という方はどうぞお越しください。
お釣りのないよう入場料をご用意いただけると助かります。(3500円です)


昨日までのやや寒い雨がちの天気から打って変わって、
今日は快晴となり、夏に戻ったかのような気温となっております。

お越しのお客様は、熱中症にならないようお気をつけてお越しください。
今回は、ドリンクのサービスはございませんが、飲食OKの会場ですので、
各自お飲み物をご持参くださって大丈夫です。

演奏中は、会場の空調を一時停止する可能性があります。
暑くなると思われますので、脱ぎ着のできる気楽な格好でお越しください。


秋らしい色合いのドレスにしようかなーと昨日アイロンかけたりしましたが、
これは暑いですね。夏の衣装に変更です。

では、楽しんで演奏してきます。







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インタヴュー記事 [プロフィール]

2016年10月2日(日)群馬県高崎市でのリュートソロコンサートに向けて、
主催のアトリエミストラルさんがインタヴュー記事を「アトリエミストラル通信」に
掲載してくださいました。

お許しを得てこちらでも転記しておきます。
結構、質問されないと答えないだろうと思う事柄があるもんですね。
特に「リュートをどうやって知ったのか?」みたいな質問は
コンサートでも興味深げに質問されることがあるものの、
いろいろありすぎて3分ではとっさに答えられないよ・・ということが多いので
この際、少し詳しく書きました。

表向きのプロフィールでは書けない、ちょっとプライヴェートな事柄もこうやって
お伝えするのもいいものですね。

どうぞご覧ください!

コンサート「シェイクスピア時代のリュート音楽」
10月2日(日)15時開演(14時30分開場)@アトリエミストラル(高崎) 
ご予約は nsakura@beige.ocn.ne.jp  090-8047-3757




Q1:リュートってどんな楽器なのですか?(興味はあるけどよく知らない人向けに)

アラビア半島の民族楽器「ウード」が11世紀ごろにヨーロッパに伝わり「リュート」と呼ばれるようになりました。
その後18世紀末まで、中世〜ルネサンス〜バロックという3つの時代にわたって、
ヨーロッパのほとんどの国々の王侯貴族の宮廷で中心的役割を果たす楽器として活躍します。
宮廷楽師だけでなく、王侯貴族自身もたしなみとして演奏していました。
その間、約4万曲の作品が残されましたが、次第に人気が衰退してゆき、19世紀になると誰も演奏する人がいなくなり、一旦伝統が途絶えます。
約100年の沈黙ののち、20世紀の初めに楽器の復元と研究がなされ、今日に至っています。



Q2:リュートとの出会いはいつ、どんな状況で? またリュートを志したきっかけがあれば、是非お願いします。

クラシックギターに熱中していた13歳の時。
かつて、日本で廉価版のリュートが一時期流行ったことがありまして、ギターの先生がリュートを持っていたんです。
クラシックギターの曲の中には、リュートの作品をギター用に編曲したものが結構多く、中学生だった私は
ダウランドやバッハなど古い時代の曲ばかりを好んで(ギターで)弾いていました。
同時に、NHK-FMラジオで古楽を紹介する番組が早朝に放送されていまして、
これを聴きながら漢字の練習をするのが至福の時、という変わった中学生でした。
この番組で時々リュートの音が流れてくるのを聴いていたのもきっかけの一つです。
その後、大学で音楽学を専攻することになり、その教授が世界的なリュート音楽研究の権威であったにも関わらず、
リュートを弾く、ということにはまだ至りません。就職してお金を貯めてやっと中古のリュートを手に入れ、
会社員を辞めてアルバイトしながらレッスンに通うようになりました。
そのうちリュート奏者だった夫と一緒にフランスに留学することになるのですが、
そこでリュート音楽の奥深さに触れ、一生探求してくことになるだろう、と思いました。



Q3: 永田さんにとって、リュートの魅力とはどんなところでしょうか?

静かな音楽であること、繊細な表現ができる楽器であること。


Q4:好きな作曲家、好きな演奏家、尊敬する演奏家は?(リュートでも結構ですし、リュート以外でも)

好きな作曲家・・・フランチェスコ・ダ・ミラノFrancesco Canova da Milano(リュートのための対位法的な作品を数多く残した16世紀の作曲家です)
好きな演奏家・・・ポール・オデットPaul O’Dette (アメリカのリュート奏者です)
尊敬する演奏家・・・今村泰典氏、左近径介氏(私のリュートの師です)


Q5:10/2のアトリエミストラルでのコンサート「シェイクスピア時代のリュート音楽」の聴きどころは?

今回は、今から400年前のイギリスの作品でまとめてみました。
400年前というと、電化製品がなくすべての音楽は生演奏だった時代です。まずはその静かな音楽とリュートの音色を体験していただきたいです。
この時代は、リュート作品全体の中でも一つの最盛期を迎え芸術的に優れた作品が数多く残されています。
ダウランドは比較的よく演奏されますが、ロビンソン、ホルボーンはあまり演奏される機会がありませんので、これを機会に知ってほしいと思います。
また、当時の一般民衆の音楽と貴族の音楽の関係と、その中でメロディーがどのように伝承されていくのかを探るのが隠しテーマになっています。
その脈絡で「グリーンスリーヴズ」やサイモンとガーファンクルがカヴァーした「スカーバラ・フェア」、朝ドラで流れて有名になった「川の流れは広く」などを
再考してみようと考えています。
個々の作品については、ブログに解説記事を書いておりますので、事前にお読み頂けるとよりコンサートが楽しめると思います。



Q6:ご自身の活動で、これからの抱負ややってみたいことなどがあればお聞かせください。


3つあります。
1つ目は、これまで通りリュートを中心としたプログラムで、親密な空間でのサロンコンサートを継続すること。
特に、リュートを聴いたことがない方々のいらっしゃるところや、大都市ではない地域に気軽に出かけて行ってライブを行いたいです。
2つ目は、リュートを弾くロバの物語「ロバのおうじ」の朗読音楽会を全国展開させていくこと。
8年前から継続していますが、来年は全国の朗読関係の方々と協力しながらより活発化させていきたいと考えています。
3つ目は、リュートとは別の、もう一つの私の研究テーマである「月琴」という楽器に関する活動をより深めたいと考えています。
現在、CDを製作中です。

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ダウランドがシェイクスピア詩に登場!? [愛しのリュート達]


220px-The_Passionate_Pilgrim.jpg


シェイクスピアの詩集として1599年に出版された「Passionate Pilgrim」(情熱の巡礼者)。

その中にこのような詩があります。


 VIII. If music and sweet poetry agree

If music and sweet poetry agree,
As they must needs (the sister and the brother),
Then must the love be great ‘twixt thee and me,
Because thou lov’st the one, and I the other.
Dowland to thee is dear, whose heavenly touch
Upon the lute doth ravish human sense;
Spenser to me, whose deep conceit is such
As passing all conceit needs no defence.
Thou lov’st to hear the sweet melodious sound
That Phoebus’ lute (the queen of music) makes;
And I in deep delight am chiefly drowned
When as himself to singing he betakes.
One god is god of both (as poets feign)
One knight loves both, and both in thee remain.


「おお、シェイクスピアの詩にダウランドが登場している!」
(ダウンロードの間違いじゃないよな・・・?と何度も確認)

「リュートを弾くタッチがどうのこうの・・・と書かれている!」
(古い英語がよくわからんが、heavenlyという単語がいかにも上手そうじゃないか)

「(オルフェウスでなくて)太陽神フォイブスのリュートという例えも珍しい!」

「シェイクスピアはダウランドに会ったことがあるのか?!」

と興奮したのも束の間、これはぬか喜びに終わりました。


この詩集、表紙には、By W. Shakespeare と謳っているものの、
そのうち実際のシェイクスピアの作品は5作のみ。

この詩の作者は Richard Barnfield(1574-1627)で、
既に前年1598年に出版された「Poems in Divers Humors」に収録されているそうです。

要は、シェイクスピアの他にもいろいろな作家の詩を集めたものだったのに、
表紙には「シェイクスピア詩集」と堂々とつけてしまって、
あたかも全部がシェイクスピアの作品であるかのような誤解を生んでいるわけです。

出版したウィリアム・ジャガードが不誠実だよなーと思う一方で、
シェイクスピアの名前を押し出せば売れる!という
当時の人気の高さをうかがい知ることができますね。

400年後に、まんまとジャガードの「シェイクスピア商法」に引っかかってしまった私。




まあ、気を取り直して。

上記の詩、音楽と詩とを並べているわけですが、
音楽家としてダウランド、詩人としてにはスペンサーがその代表として登場しています。


どなたか古語の英語詩を訳するのが3度の飯より好きです!という方、お知恵をお貸し下さい。

シェイクスピア作でなくても構わないので、リュート弾きにとっては、
ダウランドが当時どんな風に思われていたのか純粋に知ってみたいです。

mail(a)seikonagata.com       (a)を@に換えて下さい。





何か、新しいダウランドのCDないかなーと探してみたらこんなCDが。

「ダウランドもいいのだけど・・・」Not Just Dowland というタイトルのCD。



「ダウランドもいいのだけど・・・」ってじゃあ、何がおすすめなの?と
思って収録曲を見たら、見事にダウランド以外のリュートソング、
同時代のイタリアの歌曲(メルラなど)を集めたCDでした。(ソプラノとリュート)

このネーミングすごいな。「シェイクスピア商法」より上手な気がする。
ダウランドを聴きたいのに、すでにこれを買いたい気分になっている私・・・。

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続・スカボロー・フェア考 [コンサートのお知らせ]


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今回のコンサートは、バラッド・チューンと呼ばれる
伝承曲が隠しテーマになっております。

バラッドとは何か、については既に書いています。

現代までに、バラッドの幾つかは既に消滅してしまい、
またあるものはリュートの作品の中に変奏のテーマとして織り込まれ、
またグリーンスリーブズに代表されるように、脈々と時代ごとの様式で編曲されつつ
現在はイギリス民謡として認識されている曲もあります。

そんなバラッドの中で、最も有名になった曲はまぎれもなく、
「スカボロー・フェア」でしょう。
サイモンとガーファンクルが「スカボロー・フェア/詠唱」というタイトルで歌い、
映画「卒業」で使用されたことで大ヒットし、
世界中に知られることになりました。


既に「スカボロー・フェア」については、アロマテラピーの専門家の方との
コラボイベントを行った時に(2007年)16-17世紀バラッド版の歌詞について
気軽な短い記事を書いています。

スカボローフェアその1 16-17世紀版の歌詞
スカボローフェアその2 女性も伝言するが、人間関係はどうなっているのか
スカボローフェアその3 無理難題にどう答えれば満足するのか
スカバローフェアその4 呪文のように繰り返されるパセリ、セージ、ローズマリー、タイムの意味は
スカボローフェアその5 無理難題をぶつけ合う男女たち



その頃からこの曲の元歌が古いバラッドであることは認識しておりましたが、
最近、補足増強版の「バラッドの世界」(茂木健/春秋社)を再読しましたら、
わかりやすい説明がありましたので、かいつまんで紹介しておきます。




・サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア/詠唱」は
歌詞、メロディともに作者不詳の伝統歌「スカーバラ・フェア」の骨格部分をそのまま流用、
「詠唱」と称する歌詞を追加し、反戦歌の装いを加味したもの。




・では、この伝統歌「スカーバラ・フェア」はいつの時代のものか?

バラッドの成立年代の見分け方は、
1)歌全体の構成から推定 2)歌い込まれている事象からの推定 という二つの方法がある。


まず1)歌全体の構成からの推定

15世紀ごろまでの古いバラッドは、1行目、3行目は音頭取りをする中心的歌手が歌い、
それに応える形で、2行目と4行目のリフレインを周囲の人々が歌う、という形式をもつ。

スカーバラ・フェアの歌詞の1節目を見てみると・・・

スカーバラの町の市へ行くのかい?
パセリ、セージ、ローズマリィ、タイム
あの町に住むある人に よろしく伝えてほしいんだ
その女は昔 俺の誠の恋人だったのだから

という形で数節が連なってゆき、どの節も2行目と4行目はリフレイン(繰り返し)となっている。
つまり、この曲は15世紀ごろの古いバラッドと言える。

2)歌いこまれている事象からの推定

ところが、2節目の1行目に「キャンブリック地のシャツを俺のために作るよう伝えてくれ」
という歌詞が出てくる。
キャンブリック地という綿織物がイングランドに輸入されたのは
17世紀になってから。さらに一般民衆まで普及したのは18世紀後半。

つまり、「スカーバラ・フェア」は構成上は古いバラッドであり、
内容上は18世紀の事物を含んだ比較的新しいバラッドという矛盾がおきる。
この場合、優先されるべきは「構成の方」。

なぜなら、バラッドは長い間、人々の生活の中で命脈を保ち、
その時々の生活が古くから歌われてきたバラッドに投影されていくから。
(形式を保ちつつ、歌詞は更新されていく)


この曲が古いバラッドである理由はもう一つ。
古いバラッドには、キリスト教定着以前の民間信仰、原始信仰の痕跡が色濃く残る。
この曲では主人公が話しかけている相手が全く返答しない点がその痕跡で、
主人公はこの世の人間でなく「異界の住人」なのである。

この曲は古いバラッドの中でも「問答の歌」の一つとして知られるが、
ここでいう「問答」とは、人間を異界に誘い込もうとする「異形のもの」
(多くの場合、老婆や身分の高い人物に化けていて、フェアリーと総称される)と、
誘い込まれまいとする人間のあいだに交わされる問答である。

以上・・・・・序章「スカーバラ・フェア」の世界へのいざない より



この曲の元歌のメロディとそれのディミニューション(変奏)、
サイモンとガーファンクル版のメロディをルネサンス風にアレンジして演奏します。

表記も、サイモンとガーファンクルの邦題が「スカボロー」だったため
それが定着していますが、今後は発音に近い「スカーバラ・フェア」を採用したいと思います。



今回ご紹介した「バラッドの世界〜ブリティッシュ・トラッドの系譜」(茂木健・著)は
音楽のみならず、英文学やブリティッシュ・ケルト文化に興味がある方にもおすすめです。


 

サイモンとガーファンクルのスカボローフェアの動画を貼っておきますね。
やっぱりいい曲ですね〜。


なんと、いろんな歌手が歌っている「スカボローフェア」のまとめサイトがありました。



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ロビンソンのBell vedereに隠されたタイトル [コンサートのお知らせ]



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今日は、ロビンソンの作品「Bell vedere」について、自分用のメモ的な記事です。

調べたことを書いておかないと、何度も何度も同じこと調べてしまうのよね。


さて「Bell vedere」直訳すると「望楼」「見晴らしのよい高台」のような意味ですが、
それでは曲のタイトルになりません。
綴りが何語にしても正しくないし、一体どういう意味なのか、
ずっと気になりながら20年・・・。



今回シェイクスピア周辺を見ていくうちに、気になる情報にぶち当たりました。


1600年「Belvedere or, The garden of the muses」という本が
John Bodenhamらによって出版されます。
これは当時の文学作品や詩を集めたアンソロジーで、
もちろんシェイクスピアの作品も数多く収録されています。

この本は当時少なからず人気があったようで、1610年に再版されています。
詳細は こちらのサイトを。画像も見ることができます。



サブタイトルが The garden of the musesとなっており、
文芸・音楽などの諸芸の女神ミューズの庭なのですが(比喩でしょうけど)庭を見ているなら、
Belvedereは 高台というほどの高さは必要なさげ。
邦題は「美しい眺め」とでも訳しておきましょうか。


当時話題になったこの本のタイトルに触発されて、ロビンソンは作品名としたのかもしれませんね。
確証は全くないのですが、メモとして記しておきます。


この曲はあまり演奏される機会のない作品ですが、
私が最初に師事したリュートの先生がとても気に入っている曲で、
熱心にレッスンしてくださった思い出深い曲でもあります。



冒頭の写真は、ミューズの「庭」でなくて「海」ですが、まあ夏も終わりということで!



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「私の窓から出ていく」のは男か女か [コンサートのお知らせ]


私がリュートを弾き始めた頃、一番最初に練習したのは、
作者不詳の「Go from my window」でした。

このバラッドの旋律に基づく作品はダウランドをはじめいろいろな作曲家が残していますが、
今回のコンサートでは、ロビンソンによる同曲を演奏します。


IMG_4713.JPG


さて、この作品の邦題ですが、私は今まで「窓から帰って、愛しい人」と訳してきましたが、
最近「わが窓より去れ」「わが窓より立ち去れ」と(男性による)命令調のものを見かけました。

私は、女性が部屋にいて、しばしの逢瀬の後、男性を二階の部屋の窓から逃がしている、
という状況を思い描いていました。
「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンのイメージです。

たとえ部屋が1階にあったとしても、窓から女性を出て行けという男性がいたとしたら、
ちょっとひどい。。。と思いますが、まあ歌詞を見てみますか。


                ***


この元歌となっているバラッドの歌詞は、多くの変形が残されていますが、
最もシンプルな形と思われるものをあげてみましょう。


Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The wind  and the rain,
Will drive you back again:
You cannot be lodged here.


私の窓から出て行って、恋人よ、さあ。
私の窓から出て行って、私の愛しい人。
風と雨とが
あなたをまた戻らせるでしょう。
あなたはここに泊まることはできないの。


Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The wind is in the west
And the cuckoo's in the nest
You cannot be lodged here.

私の窓から・・(同上)
風は西から吹き、
カッコーは巣の中に。
あなたはここに泊まることはできないの。



Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The devil's in the man
And he cannot understand
That he cannot be lodged here.

私の窓から・・・(同上)
男性の中には悪魔がいて、
理解することができないの、
ここに泊まることができないということを。


From: Songs from Shakespeare's Plays,Kines
survived in oral tradithion since Shakespeare's time.



最後の部分を読むと、泊まりたいと駄々をこねているのは男性であるので、
「私の窓から出て行って」と言っているのは女性でしょう。



著作権の問題があるので、画像は貼りませんが、
ロミオとジュリエットのバルコニーシーンを描いた絵、舞台写真はこちらをどうぞ。
バルコニーや窓辺から、落ちそうになっている男性が出てきて、笑ってしまいました。


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二人のリュート奏者、ロビンソンとダウランド [愛しのリュート達]


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トマス・ロビンソン(Thomas Robinson)の作品を取り上げます。

彼のリュート二重奏の作品は頻繁に演奏してきましたが、
ソロ作品を弾くのは、久しぶりです。
地味ながらもしみじみとした暖かさに満ちた作風です。

彼の人生については生没年すら不明ですが、ダウランドとの関連で俯瞰してみると、
ちょっと面白いかもしれません。


ロビンソンは、音楽家の父親と同様、エリザベス女王の側近セシル家に仕えていましたが、
20代でデンマークにわたり、フレデリック2世の妃ソフィーと王女アンの個人的な音楽教師となります。


フレデリック2世は1588年に崩御、息子クリスチャン4世の時代に。
デンマーク王室は優れた音楽家を他国から招聘しており、その一人としてやってきたのがダウランド。
ダウランドは、1598年から1606年の間デンマーク王室のリュート奏者を務めたとされていますが、
それについての公の記録はなく、ロビンソンがそう言及しているため、知られていることなんですね。

ちょうどダウランドがデンマークにやってきたのと同じ年、
1598年、ロビンソンがリュートを教えていたアン王女は15歳で、
スコットランド王ジェームズ6世の妃としてお嫁入り。


その5年後、イギリスでは1603年エリザベス1世が崩御し、
スコットランド王ジェームズ6世はイギリス国王ジェームズ1世を兼ねることに。
当然、その王妃アンもイギリス国王妃に!


Anne_of_Denmark-1605.jpg


アンの肖像画(首の美しさを讃える言葉が残されています。そこが褒めどころって、笑。)


イギリスでアンは、芸術活動の庇護に力をいれヨーロッパでも有数の文化サロンを主宰。
(ああ、その音楽教育を施したのはロビンソンなのだ!と思うとなんだか嬉しいな。)


ロビンソンに関する情報は少なく、いつイギリスに戻ったのかも不明なのですが、
残る手がかりは、楽譜の出版のみ。
3冊目の曲集を1603〜1609年にロンドンで出版します。

リュートソロと二重奏の作品を含む2冊目の曲集「The Schoole of Musicke」は
ジェームズ1世に献呈され、献辞にはデンマークでアンに教えていたことも書かれています。
教則本でもあるこの曲集の宣伝文句としては、最強でしょう。


この曲集には「The Queen's goodnight」や「The Queenes Gigue」など
王妃にちなんだ曲名の作品がありますが、これはアンを示していたのですね。
(今まで、何回も演奏しておきながらエリザベス一世だとばかり思っていましたよ。・・・)

3冊目のシターン曲集を出版したのが1609年。
それ以降ロビンソンについての記録は何も残っていません。


一方、ダウランドは、というと、1606年までデンマーク王に仕えたのちにイギリスに戻り、
1612年イギリス国王付きのリュート奏者になったものの、
その時の国王は、ジェームズ1世であり、憧れのエリザベス1世ではなかったんですよねー。
ダウランドが晩年、イマイチだった気持ちがちょっとわかる。・・・


デンマークやイギリスでも、この二人のリュート奏者は顔見知りだったと思われますが、
距離感や関係はどんな感じだったんでしょう。
いろいろと妄想が膨らみます。



楽譜「The Schoole of Musicke」はPublic Domainとなっているため、無料で閲覧できます。




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映画「ハムレット」の演出から考えた古楽 [日々の想い]

前回ご紹介した映画「ハムレット」を見ていて感じたことを少し。

この映画は、シェイクスピアでありながら、
衣装や美術などの演出は19世紀のテイストで製作されています。


エリザベス一世関連の映画で見られたような
フリフリのえり飾りや面白いカツラの登場を期待していると、
思わぬ肩透かしをくわされてしまうのですが、
これが予想外に、とても良かったのですよ。

女性たちは床までのロングドレスを着ているものの、
男性たちは、現代のフォーマル・スーツに近い感じ。
決闘するシーンは、オリンピックのフェンシングの試合を見ているよう。

ハムレットが真剣なセリフを語っている時に、何としたことか、
私にはハムレットが「綿シャツにジーンズ」姿の青年に見えた瞬間が
少なからずあったのです。

現代人の私たちにも親近感を覚える外見の印象によって、
(原作を忠実に再現したという、最も肝心な)「言葉」は、
かえって力を持って確実にこちらに刺さってきます。

オフィーリアの狂乱のシーンに関する描写は、
現・近代の精神病院での様子(拘束着や入浴)を再現したと思われ、
他人事では済まされない狂気として迫ってきます。


登場人物は私たちの身近にいる人物あるいは自分自身のように見え、
たやすく感情移入してしまいます。
そのように演出されているわけです。

そう考えると、時代様式を再現した映画は美しいものの、
衣装や美術に目を奪われて忙しく、もしかしたら大切なメッセージを
読み取り損ねていたかも、と思い当たります。

            ***

以下は、何か特定のことに対しての批判ではなくて、自省です。


「シェイクスピアは全世界で上演され普遍的な人気を保っているのに、
同時代の文化である古楽は、なぜこれほどまでにマイナーなのか」と
ある方に訊かれたことがあります。

その時、私は全く違う視点からの返答をしたのですが、
もしかしたら、歴史的な解釈、様式にこだわりすぎてしまっているのかも、
と今回映画を見つつ思いました。

シェイクスピアの演劇では、もうだいぶ以前から、
それぞれの国の様式による、現代的な演出が行われています。
我が国ではそれこそ先に挙げた坪内逍遥もそうですし、
その最たるものは蜷川幸雄氏の演出でしょう。

シェイクスピアはそれぞれの時代の様式で消化されて、
広がり、続いてきたのではないでしょうか。

古楽は、一部分はいわゆるクラシック音楽へと吸収されていき
他方で(貴族社会と共に)一度断絶したのち復活した音楽なので
簡単に演劇と同列にはできませんが、
もっと自由な、現代人の側からのアプローチや演奏会のスタイル、
「こだわりどころの取捨選択」があっても良いかなあと思います。

演劇における「言葉」は、私は古楽においては「作品」だと考えますが、
その定義も人それぞれに自由でよいと思います。

大切なのは「こうでなければ古楽でない」とか
「歴史的にはこうだから、そうでないのは偽物」的な物言いをしている限り、
古楽はいつまでたっても消化されない、
つまり今の私たちにとって異物として胃の中に残り続けるということ。
誰が好き好んで「胃もたれ」する食べ物を食べたいと思うでしょう。

IT技術や音楽学の研究が進んで明らかになることは多く、
一方でその情報に縛られることも多いこの頃。

知識として学び続けるのは当然としても、
演奏においては、400年の時差をやすやすと飛び越えるアプローチがあるんじゃないか?
とより自由な発想で模索していきたいなあと思いました。


せめて、楽器を持っている時は、すべて忘れて無邪気に作品の世界に没頭したい。

If music be the food of love, play on ・・・の気持ちで!
(「十二夜」)



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映画「ハムレット」但しリュートは登場しない [愛しのリュート達]


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オフィーリアのシーンにリュートは登場しないとわかっているものの、
映画「ハムレット」のDVDをまたレンタルしてしまいました。


オフィーリア役にケイト・ウィンスレット、その他、豪華キャストによる作品。
原作(Q2)のセリフをカットすることなく忠実に製作したもので、
上映時間は4時間を超え、DVDも2枚組に。

今までも何回も見ていたのに、
この映画が長いことの意味が今まで全くわかっていなかったなー。



オフィーリアがどんな風にバラッド・チューンを歌うのか、
また先の論文で指摘されていた政治的危機の状況、民衆と貴族の撹乱とは何を指すのか、
など、物語のあらすじをおさらいしつつ視聴しました。

悲劇だけあって、最後は見事に全員が死んでしまいますね。
そのさっぱり感も潔くて好き。





今回は、上記の確認ポイントの他、物語の舞台がデンマーク国王の宮廷ということで、
デンマーク王室に仕えたリュート奏者、ダウランドとロビンソンのことも念頭におきつつ。

特に、私の関心はイギリス王室とデンマーク王室との関係が(政治的&心情的に)どんな感じなのか、
地図を確認すると両国には結構距離があるのですが、そこをどういう手段と経路で往復したのか、も
チェックポイントでした。

また9月25日&10月2日のコンサートでの演奏曲に、ホルボーン作「夜警」というのがあり、
宮廷の「夜警」という職業(?)がどんなものなのか、という関心もあって・・・。

夜警たちは、この「ハムレット」でも、先日紹介した「から騒ぎ」でも、
脇役とはいえ活躍するんですよね。

                
いろいろと把握するのに忙しくて、4時間なんてあっという間でした。
言葉が音として発せられるのを聞くのは心地よいです。
もちろん、観劇するのが本来の形なのですけどね。

おすすめです。

この映画を見て、古楽の演奏会についても思うことがありましたが、
長くなりましたので、またこれは次の記事に。








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坪内逍遥版「ハムレット」 [お気に入り]


IMG_4575.JPG

先日、オフィーリアの部分の翻訳を比較するため図書館に出かけましたが、
坪内逍遥訳の本は古いために閉架の貴重書となっていました。
それを出してもらい、特別な部屋で(司書の方の監視の下)読んできましたが、
挿絵がとても美しかったので、コピーしてもらってきました。

中央公論社が明治42年に出版したものを改訂し、昭和8年に出版したもの。
定価70銭(期間限定50銭)のラベルがありました。

前書きで坪内逍遥は
「英語がわからない日本人のために、講釈の意味も含め、
ト書きはたくさん付け加えた」と記しています。

問題の箇所は「ホレーショー心狂ひたるオフィリヤをつれて出る。」のト書きのみ。


IMG_4575 2.JPG

(挿絵が横向きになっているので、回転させて冒頭にあげました)


オフ   デンマークのお妃さまは何処にぢゃ?
妃    どうしやった、オフィリヤ?


古い日本語表記が味わい深い。(「ぢゃ」を出すのにちょっと苦労。dya でした)

そしてオフィーリアが溺れて死ぬシーン。

IMG_4577.JPG


もしかしたら「青空文庫」で読めるのでは・・と思ったら、
ハムレットは準備中、となっていました。


下記の本は、そういえば夫の本棚にあった。

 


この前のブログ記事では(図書館になかったので)紹介しなかった
河合祥一郎氏のハムレット。








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「オフィーリアとリュート」への追加情報をいただきました! [愛しのリュート達]


スクリーンショット 2016-09-03 17.28.53.png


「オフィーリアとリュート」の話題がTwitter上で盛り上がり、
大変ありがたいことに、シェイクスピアご専門の先生、音楽学の先生方から
追加・補足情報をいただきました。

Twitterをご覧になっていない方もいらっしゃるかとおもいますので、
ブログでもまとめておきます。
当時、リュートがどのように捉えられ位置づけられていたのかを理解する上で、
とても有益な情報と思われますので、ぜひ最後までお読み頂ければ、と思います。

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*偶然、今日の記事から読んでくださっている方、是非以下の二つの記事をさっと
お読みになり、ご参加下さい!

議論の発端になったのは、このブログ中の記事「オフィーリアとリュート」。
すぐに、訳者によって色々あるぞ、ということがわかり、まとめたのがこちら。


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最初のブログで、私が参照した喜多野裕子氏による論文
“Let her come in” ーー『ハムレット』におけるオフィーリアのバラッド歌唱と政治的危機」
で言及されていた貴族女性がリュートを弾くということについて、
以下のような情報が寄せられていました。

まずシェイクスピアをご専門に研究されているsaebou先生@Cristoforouより












ここでフランス在住のチェンバロ奏者、ジャスミン男さん@echinodermes
いい質問をしてくださいました。















医学史の鈴木晃仁先生がブログを紹介して下さいました。




 

ここでイギリス在住の音楽学者、まつもと(な)先生  に登場リクエストの声が。
古楽クラスタではおなじみの先生で、特に「狂気」と音楽との関わりについて研究をされています。




































同時進行で、会話が続くため、順序が前後している箇所もありますが、

このようにとてもエキサイティングな情報交換が行われました。


その他、哲学や思想史からのご指摘や、

私が把握しきれなかった各種の翻訳ではどうなっているか、

あるいは実際これまで上演された演劇ではこのシーンがどのように演出されていたか、など、

それぞれのジャンルの方々の間で話題となりました。



すべての情報は私にも把握できておりませんが、時の坩堝(@emanatio999)さんが

裏古楽の楽しみ-リュートとシェイクスピア】としてまとめてくださっていますので、

こちらもご覧くださいませ。


情報をお寄せくださった皆様、「いいね」やRTをしてくださった方、読んでくださった方々、

どうもありがとうございました!


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