「道化師タールトンの復活」、復活の意味とは? [コンサートのお知らせ]
前の記事に続き、道化師にちなんだ作品をもう一つ、
J.ダウランド作曲「道化師タールトンの復活」を取り上げてみます。
タールトンがどういう人物だったかについては、前記事をご覧いただくとして、
この宗教音楽ではない曲に「復活」という言葉が使われているのに違和感があるんですよね。
これはどういうニュアンスなんでしょう?
仮定(1)イエス・キリストの復活のように、タールトンが死後、蘇った。
これは、幽霊が住みやすい国、イギリスでもさすがに非現実的だと思うので却下。
キリスト教関係者から怒られそうだし。
仮定(2)タールトンが亡くなった際に、鎮魂、哀悼の意味をこめた。
私はずっとこれだろうと思っていました。
バロック音楽でよくある「トンボー、〜の墓」といった種類の音楽かと。
タールトンが活躍〜亡くなった時期と、作曲家ダウランドがエリザベス女王の宮廷で
御前演奏をしたり、宮廷リュート奏者の地位を狙って就職活動をしていた時期とは
ちょうど重なります。
ダウランドが就職できずにヨーロッパ大陸に移住した年と、タールトンが亡くなった年が同年なので、
やや微妙ではありますが、その訃報に接した可能性はあるでしょう。
ただ上記のような意味で「復活 resurrection」という言葉を使うものなのかどうか、
他の例を見たことがないので、確証は全くなし。
そして今回、シェイクスピア周辺の道化役者を調べていて気がついたのが・・・
仮定(3)タールトンにそっくりな別の人物に会った。
前記事の続きになりますが、タールトンの後、ケンプが約10年間活躍したのちに退団。
その後を継ぎ、まさにシェイクスピアが求める賢い道化師を演じたのが、
ロバート・アーミン Robert Armin なる人物でした。
「十二夜」のフェステ、「お気に召すまま」のタッチストーンなどの役は
彼が演じたと言われています。
アーミンは仕立屋の息子として修行中だったのですが、父親が亡くなった頃、
ふとしたことからタールトンがその文才に目をつけ、スカウトして連れ帰り、
徒弟として 育て上げた人物です。
(仕立屋の息子だからいい服着てるな〜と思ったけれど、これは舞台衣装だった・・・)
ダウランドは、ケンプが活躍した時期はほとんどイギリスを不在にしており、
アーミンが活躍し始めた頃に帰国しています。
そして、タールトン仕込みの、アーミンの演技を見たダウランドは、
かつてのタールトンの面影を見たのではないでしょうか。
「おお、まるでタールトンが復活したようだ!」と。
ダウランドがこの作品をいつ書いたか確証を得ていないので、
妄想と憶測の域を出ないのではありますが、
そう考えると「タールトンの復活」というタイトルが納得できそうです。
仮定(2)で解釈すると、しんみり哀愁を帯びた雰囲気で演奏していたのに、
(3)だとすると、もっと喜びと驚きに満ちた、快活なテンポで演奏をしたくなりますね。
あー、コンサート目前のこのタイミングで、これは大変!(頑張ります)
【動画紹介】
ゆっくりなヴァージョンの演奏。アーチリュートによる演奏で。
クラシックギターによる演奏で、少し早めテンポの演奏。タールトンの絵も出てくるのが可愛い。
最後はしみじみと。
【おすすめCD】
ダウランドのリュートソロのための作品全曲を
代表的なリュート奏者が分担しあって録音した歴史的な全集。
それぞれの演奏スタイルや音色の違いも楽しめるCDです。