古楽かふぇ〜夏のお休み処〜 [コンサートのお知らせ]
今週末、7月29日〜31日の3日間、古楽イベントが開催されます。
主催は、5年前から古楽に関する様々なイベントを企画されている「古楽かふぇ」さん。
イベント名は 〜夏のお休み処〜。
まさに、古楽にどっぷり浸って大人たちも夏休みを楽しもう!という企画ですね。
場所は JR中野駅から徒歩13分のSpace415
内容は、気軽なお茶会から、レクチャー、コンサート、懇親会、
CDや書籍、Tシャツやトートバッグなどの物販まで、盛りだくさんです。
古楽に興味を持ち始めたばかりの方も、どうぞお気軽にご参加下さい。
詳細情報は、古楽かふぇ〜夏のお休み処〜 をどうぞ。
私は7月30日(土)
15時からの、
金澤正剛先生による「イタリア・ルネサンス音楽文化とメディチ家」レクチャー
18時からの、
白沢達生さんのトークイベント&懇親会に参加する予定です。
同時に《リュートのある暮らし》を出店しまして、
CD「ふらんすの恋歌」「グリーンスリーヴス」を販売予定です。
「ふらんすの恋歌」にはアンリ4世の宮廷でのリュート歌曲を収めていて、
アンリ4世の妻は、メディチ家の出身です。
金澤先生が解説文を書いてくださっていますので、ぜひ、ご購入の上、
金澤先生にサインをおねだりして下さいませ。
リュートはいつから「リュート」と記した? [愛しのリュート達]
シェイクスピアの『空騒ぎ』(第3幕第2場)に、ふふっと笑ってしまう、
リュートに関する記述がありました。
(ある人物が恋をしているのではないか、と噂する場面。)
クローディオー:左様、しかも、一番変わったのは万事を洒落とばす気軽な才気で、
それがルート(リュート)の弦に巻き込まれ、高さ低さも意のままならぬ金縛り。
ドン・ペドロ:なるほど、それは大分重態らしい・・・要は要するに、恋だという事になる。
(福田恆存・訳 シェイクスピア全集/新潮社)
リュートの調弦が安定しないことへの揶揄が、ここにも。
図書館で見つけたこの古い本(昭和37年出版)でも、
また小田島雄志さん訳でも、リュートが「ルート」と表記されています。
英語の発音に近いカタカナ表記と思われますが、
いつ頃から「lute」をリュートと表記するようになったんでしょうね。
音楽の分野でのリュートの普及状況とリンクしているとは思いますが、
そのあたりの変遷を見てみるのも 面白いかもしれません。
かつて、つのだ先生が
「リュートの先のところ、龍の頭みたいでしょ?
だから「龍頭(りゅうとう)」と呼ばれるようになりました」と楽器説明をしていらして、
冗談なのに、お客さんはすっかり信じ込み、リュートは中国の楽器と誤解されていたことを
思い出して、また一人で ふふっとなりました。
弦を変えたあと、端の始末が出来てなくて、まさに龍のひげ状態・・・。
さて、「シェイクスピア時代のリュート音楽」プログラム解説は
9月25日の東京公演、10月2日の群馬公演まで続きますが、
一旦、明日から北海道公演に出かけますね!
政治的プロパガンダ「ウィロビー卿のご帰館(還)」 [コンサートのお知らせ]
今回、取り上げるのは「ウィロビー卿のご帰館」。
これもブロードサイド・バラッドの一つですが、このメロディーにのせて伝えられたのは、
政治的なニュースや、戦いでの勝利の知らせなどでした。
本来の歌の内容は、この肖像画の人物、ウィロビー・ド・エレスビー卿ペレグリーヌ・ベルティが
イングランドの将校としてネーデルランドで戦い、戦功を挙げたことを讃える歌です。
勇ましい乗馬姿の挿絵がかっこよくて、目を引くため、
別の内容のニュースを報じるバラッド・シートでも、この挿絵は引用され続けています。
今回のコンサートではダウランドが作曲したものを演奏しますが、
凱旋の曲らしいエネルギーに満ちた華やかな曲調です。
同じくダウランドによるリュート二重奏版や、
バードによる鍵盤楽器のための作品などがあります。
血なまぐさい戦闘の様子から、ウィロビー卿を讃える言葉、
負傷兵に対するエリザベス女王の恩恵についてなどが綴られています。
これまで「ウィロビー卿のご帰『館』」と邦訳をつけていましたが、
このような状況を考えると「戦地から戻る」ことをピンポイントで示す
「帰還」の訳の方がいいかも、と思いました。
曲の背景は前から知ってはいたのですが、なぜか「帰還」というと、
私にとっては「宇宙空間から無事に地球に戻った!」ぐらいのスケールの大きさを
感じさせる言葉だったんですよね。(映画の見過ぎ)
オランダの戦地から戻ったといっても、ドーバー海峡渡ったくらいの距離、
「おかえりなさ〜い!」(頭の中では奥さんが玄関に出迎えている図柄)という程度で
いいんじゃないかと思っていたんですが、戦闘はそんな甘いものではなかった・・・。
女王も町の人々も、旗を振りつつ総出で出迎えるイメージに変換して、
次回からは タイトルを「ウィロビー卿のご帰還」に改めようと思います。
殺人事件は「我が敵、運命よ」のメロディーにのせて [コンサートのお知らせ]
簡単にまとめましたが、ブロードサイド・バラッドのひとつに
「我が敵、運命よ」(Fortune, my foe)があります。
このメロディーにのせて伝えられたニュースは、殺人事件や処刑の様子や辞世の句など!
まさに三面記事のニュースがこのメロディーで伝えられました。
バラッド・シートの例です。
小さい画像しかなく読みづらいかもしれませんが、左ページの絵の上に、
「To the tune of Fortune my foe」の言葉が見えます。
一見、可愛い絵ですが、よく見ると怖い・・・。
シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち(第3幕第3場)に、
Fortune thy foe・・・という台詞があって、
この歌を知っていることを前提とした替え言葉、という説もありますが、
他にも同様なFortuneの用例は随所に見られ、うーん、どうだろう?と思う。
いずれにしても、シェイクスピア劇の中でこの音楽そのものは登場しません。
このメロディに基づく作品はいろんな編成でありますが、
今回のコンサートでは、ダウランドが変奏をつけた作品を演奏します。
こうしてリュートの楽譜として記録されることで、
当時の一般民衆の歌を伺い知ることができます。
【動画紹介】男性歌手が歌っているもの。おどろおどろしい?!雰囲気。
歌に続いてダウランドの作品のリュートソロ。
オールド・バラッドとブロードサイド・バラッド [コンサートのお知らせ]
この夏〜秋のコンサート「シェイクスピア時代のリュート音楽」の
隠しテーマと言っていいのが、このバラッドを巡る作品群です。
スコットランドのバラッド「バーバラ・アレン」
今回は演奏しませんが、好きな曲です。
バラッドは、文学的にも民俗学にも、また音楽的にも
おそらく一生の研究に値する壮大なテーマですので、
ここではごく簡単にまとめておきます。
◉バラッド Ballad とは・・・
語源としては、後期ラテン語で「踊る」を意味する動詞Ballareに由来。
手をつなぎ円になって踊りながら、中心となる人物とその他の踊り手の間で
交互に歌い交わす。
◉オールド・バラッド
四行で一連が形成され、物語性が高い。
作者や成立年代不明で口承によって伝えられる。
中世以前に成立。
2行目、4行目にリフレインを持っていることが多い。(重要!)
このオールド・バラッドは形式を保ちつつ、
歌われる歌詞の内容は最新の事象を織り込みつつ、ずっと歌い継がれていきます。
その一方で、印刷技術が普及した16世紀ごろから、ブロードサイド・バラッドが登場します。
◉ブロードサイド・バラッドとは・・・
ブロードサイドとは、現在の新聞の起源にあたるようなビラのような情報紙で、
識字率が低い人々にそれを買わせるために活用されたのが歌でした。
ニュースをバラッドの詩の体裁に仕立て、人々がよく知っているメロディーにのせて、
歌いながら販売したのです。
このビラ、バラッド・シートには、ニュースの下に「〜のメロディーにのせて」という
指示が掲載されていて、ニュースの内容によってメロディーの種類が決まっていました。
このメロディーのことをブロードサイド・バラッド(バラッド・チューン)と呼びます。
今回のコンサートでは、オールド・バラッドの例として「スカーバラ・フェア」を、
ブロードサイド・バラッドの例として、
「我が敵、運命よ」「ロビン・フッドは緑の森へ去り」「ウィロビー卿のご帰館」などを
取り上げます。
ちなみに、ブロードサイド・バラッドと同じようなものが江戸時代の日本にもありました。
「熈代勝覧」(1805)には「読売り」という、声にだして当時の事件を語りながら
一枚一枚新聞を売っている人の姿が描かれています。
赤い笠をかぶっている二人が読売り、それを囲んで聞いている人々。
【参考CD】これはやっぱり名盤だと思う。バーバラ・アレンも入っています。
「道化師タールトンの復活」、復活の意味とは? [コンサートのお知らせ]
前の記事に続き、道化師にちなんだ作品をもう一つ、
J.ダウランド作曲「道化師タールトンの復活」を取り上げてみます。
タールトンがどういう人物だったかについては、前記事をご覧いただくとして、
この宗教音楽ではない曲に「復活」という言葉が使われているのに違和感があるんですよね。
これはどういうニュアンスなんでしょう?
仮定(1)イエス・キリストの復活のように、タールトンが死後、蘇った。
これは、幽霊が住みやすい国、イギリスでもさすがに非現実的だと思うので却下。
キリスト教関係者から怒られそうだし。
仮定(2)タールトンが亡くなった際に、鎮魂、哀悼の意味をこめた。
私はずっとこれだろうと思っていました。
バロック音楽でよくある「トンボー、〜の墓」といった種類の音楽かと。
タールトンが活躍〜亡くなった時期と、作曲家ダウランドがエリザベス女王の宮廷で
御前演奏をしたり、宮廷リュート奏者の地位を狙って就職活動をしていた時期とは
ちょうど重なります。
ダウランドが就職できずにヨーロッパ大陸に移住した年と、タールトンが亡くなった年が同年なので、
やや微妙ではありますが、その訃報に接した可能性はあるでしょう。
ただ上記のような意味で「復活 resurrection」という言葉を使うものなのかどうか、
他の例を見たことがないので、確証は全くなし。
そして今回、シェイクスピア周辺の道化役者を調べていて気がついたのが・・・
仮定(3)タールトンにそっくりな別の人物に会った。
前記事の続きになりますが、タールトンの後、ケンプが約10年間活躍したのちに退団。
その後を継ぎ、まさにシェイクスピアが求める賢い道化師を演じたのが、
ロバート・アーミン Robert Armin なる人物でした。
「十二夜」のフェステ、「お気に召すまま」のタッチストーンなどの役は
彼が演じたと言われています。
アーミンは仕立屋の息子として修行中だったのですが、父親が亡くなった頃、
ふとしたことからタールトンがその文才に目をつけ、スカウトして連れ帰り、
徒弟として 育て上げた人物です。
(仕立屋の息子だからいい服着てるな〜と思ったけれど、これは舞台衣装だった・・・)
ダウランドは、ケンプが活躍した時期はほとんどイギリスを不在にしており、
アーミンが活躍し始めた頃に帰国しています。
そして、タールトン仕込みの、アーミンの演技を見たダウランドは、
かつてのタールトンの面影を見たのではないでしょうか。
「おお、まるでタールトンが復活したようだ!」と。
ダウランドがこの作品をいつ書いたか確証を得ていないので、
妄想と憶測の域を出ないのではありますが、
そう考えると「タールトンの復活」というタイトルが納得できそうです。
仮定(2)で解釈すると、しんみり哀愁を帯びた雰囲気で演奏していたのに、
(3)だとすると、もっと喜びと驚きに満ちた、快活なテンポで演奏をしたくなりますね。
あー、コンサート目前のこのタイミングで、これは大変!(頑張ります)
【動画紹介】
ゆっくりなヴァージョンの演奏。アーチリュートによる演奏で。
クラシックギターによる演奏で、少し早めテンポの演奏。タールトンの絵も出てくるのが可愛い。
最後はしみじみと。
【おすすめCD】
ダウランドのリュートソロのための作品全曲を
代表的なリュート奏者が分担しあって録音した歴史的な全集。
それぞれの演奏スタイルや音色の違いも楽しめるCDです。
【動画紹介】道化師ケンプのジグ [お気に入り]
道化師ケンプの悲哀と野望、その顛末〜「ケンプのジグ」裏話 [コンサートのお知らせ]
シェイクスピア劇において道化は重要な役どころですが、
リュート曲の中に道化の名前を冠した作品が二曲あります。
「道化師ケンプのジグ」(作者不詳)と「道化師タールトンの復活」(ダウランド作曲)です。
この二人の道化師とシェイクスピア、さらにダウランドとの接点、
そしてこれら芸術の総監督とも言えるエリザベス一世について、
簡単に整理しつつ、この二曲の曲目解説を試みてみましょう。
***
シェイクスピア、女王陛下の一座と出会う
1583年、エリザベス一世は民衆の劇団からメンバーを選抜し、
自らの名前を冠した一座を結成、民衆演劇の直接の庇護者となります。
それまで宮廷道化師を雇うのが慣習であったのに対して、
女王と民衆が同じ劇団俳優、同じ娯楽を楽しんだということが、
他の国や他の時代には見られぬ大きな特色であったと言えましょう。
この女王陛下一座は1587年ごろには全国各地を巡業しますが、
その巡業先の一つにシェイクスピアの生地、ストラトフォード=アポン=エイヴォンがありました。
タールトンの妙技、一人楽隊
この時、劇団の中心的な喜劇役者はリチャード・タールトン Richard Tarlton。
劇団結成当時からのメンバーで、ドタバタ喜劇役者として大評判をとり、女王のお気に入り。
さらに、この巡業にはもう一人、入団したばかりの若いウィリアム・ケンプが参加しています。
この巡業公演を 23歳のシェイクスピアが観た可能性があり、
これが彼が劇作に関わるきっかけになったのではないかと言われています。
太鼓と笛による一人楽隊の妙技を披露しているタールトン。
タールトンはこの翌年、肝臓病で亡くなります。
その後を継ぎ、シェイクスピアの初期の作品で喜劇俳優を務めたのが、
ウィリアム・ケンプ William Kempe でした。
タールトンについては次回の記事でも触れますが、
ここからはウィリアム・ケンプに焦点をあてていきます。
リストラされたケンプの悲哀
ケンプもまた、アドリブを連発しながら跳ね躍る伝統的なスタイルの道化役者でしたが、
やがて、シェイクスピアは「言葉による表現」を重視するようになり、
新しい道化役を求めるようになります。
すなわち、学識に裏打ちされた機智、人の心を読み取る眼、哀愁を感じさせる雰囲気、
歌唱力を備えた道化です。
このシェイクスピアの要求に応えられなかったケンプは1599年退団を余儀なくされ、
グローブ座の株を売却して(!)去っていきます。
相棒が太鼓と笛を担当。ケンプの得意技は モーリスダンス morris dance。
「ケンプは脛に小鈴をつけて踊りながら、ロンドンからノリッジまで約9日間を練り歩いたという。」
「ケンプのジグ」の解説としてよく語られてきたエピソードですが、
これを現実的に考えてみたいと思います。
ロンドンからノリッジまでの距離は、約100マイル=160キロ、
東京から静岡の距離に相当します。(思ったより近かった・・・)
160キロを9日間で移動するとなると、1日あたり約18キロ、
単純計算で成人男性が歩く速度は平均4.5キロ/hとして、
1日のうち、4時間歩いていることになります。
江戸時代に旅をする人は、1日のうち8-10時間は歩いていたので、
それと比較するとそれほどハードなことではない、
つまり、ケンプの目的は「ノリッジまで移動すること」ではなかったと言えます。
ではケンプの目的は何だったのでしょうか?
ジグに賭けたケンプの野望
実は、ケンプは、この踊りながら移動する道中でお金を稼ぎ、
その後はその旅行記をまとめた本を書くことでお金持ちになることを計画していたのです。
「自分を必要としない劇団なんかやめてやる!
独立してストリートダンサーになるんだ!
そしてノンフィクッションを執筆して大儲けするんだー!」といったところでしょうか。
株を売却とか、起業とか、書籍執筆とか、道化師の話とは思えない展開ですが、
その心中を察するに、むしろ富への野望というより、
男の一分を立てるために、ロンドンからノリッジまで踊り歩いたとも言えるでしょう。
その結果は果たして・・・。
現実は厳しく、道中の踊りに多くの投げ銭はもらえなかったようです。
しかし、本は執筆し、1600年に出版され、現存しています。
その名も「ケンプ奇跡の9日間」!(いいタイトルだ。)
・・・これがベストセラーになったという話はありません。
また別の記録によると、
「アルプスを越えてローマまで踊りながら旅をしたが、
ヘイ・ホウ!の掛け声で躍るスタイルはヨーロッパでは受けず、興行的に失敗」したらしい。
最終的には、イギリスに戻って別の劇団に所属し、1603年に死亡。
何だか、いまどきの無謀な起業家の話みたいで、切なくなりますね。
軽快なリズムと親しみやすいメロディーの「道化師ケンプのジグ」。
技術的にも平易なので、初心者向けの教材としてもよく用いられますが、
その裏にはケンプさんのリストラされた悔しさと、野望が隠されていたというわけです。
作者不詳「道化師ケンプ」についてはここまで。
次は、ダウランドの「道化師タールトンの復活」に続きます。
参考書籍はこちら。視点が面白い。読みやすい本でした。
リュートカレンダー7月の絵 [愛しのリュート達]
7月に入り、いよいよ暑くなってまいりました。
リュートカレンダー7月の絵のリュート弾きさんも、片肌脱いでいます。
今月の絵は、
ヘラルト・ファン・ホントホルストの【音楽会】
Gerard van Honthorst (1592-1656)作 “The Concert ”です。
この作品は、フランスのある家で所有されていた作品で、最後に公開されたのが1795年。
アメリカ・ワシントンD.Cの国立美術館が 2013年に購入し、
実に、218年ぶりに公開されたという作品。
作者・ホントホルストはオランダ・ユトレヒトの画家。
生涯についての詳細は上記リンクよりご覧いただくとして、ポイントとしては、
・カラヴァッジョ派の画家である(細部の描写にリアリティがある)
・世俗画に個性が発揮されており、楽器を描いたものが多い
ことが挙げられます。
さっそく、掲題の作品の細部を拡大して見てみましょう。
8コースのルネサンスリュート。
低音弦と高音弦とで、太さや色が違うことまで、細かく描写されています。
テーブルの上に楽器を置き、右手の小指を表面板にしっかりつけることで、
楽器が仰向けに転がらないようにバランスを取っているように見えます。
この持ち方は左右の指が拘束されてしまい、演奏の自由をかなり奪います。
フレットは、シングル巻き。
1フレットの間隔が幅広く、2フレット目は狭いというミーントーン調律であることが見てとれます。
1フレット目にミニ(部分)フレットは貼っていないですね。
6コースの低音側の弦が、緩んでいるのか、癖がついているのか、ヨレッとしていて浮いています。
左右の指の、関節の描写が見事。
血の通った手の温かみや、関節の力の入れ具合までわかるくらいです。
他にも書きたいことは多々ありますが、
今回はリュートが登場する作品が他にたくさんありますので、ちゃっちゃと行きますよ!
まずは、リュートを調弦する女性たちの作品から。
【リュートを調弦する女性】(1624年)
今まで、リュートを調弦する様子を描いた作品をいくつか見てきましたが、
この女性の余裕の笑顔をご覧あれ。
おしゃべりしながらペグ回して、リュートの扱いに慣れている様子。
リュートカレンダー3月の絵のしかめっ面とはえらい違いです。
7コース・ルネサンスリュート。1コースは単弦(ナットに溝は2本あるが)。
このリュートは フレットの巻き方が面白い!
1〜3フレットまではダブルに巻き、それから上のフレットはシングル巻き。
ロゼッタのデザインもくっきり。
【リュートを調弦する女性】(1624年)
7コース・ルネサンスリュート。1コース単弦。
フレットはシングル巻き。
こちらも、余裕の笑み。
同じく、リュートの調弦をする女性の絵をもう一枚。
【リュート奏者】(1624年)
ペグの数から判断して7コース・ルネサンスリュート。
安定の笑顔。
ここからは、バルコニーでの音楽会シリーズになります。
【欄干に寄りかかった陽気なヴァイオリン弾きとリュート弾き、あるいは 音楽会】(1620年代)
弦の数、ペグボックスの形から判断するに、7コース・ルネサンスリュートかと。
1コース単弦、フレットはシングル巻き。
左のヴァイオリン奏者は 鼻の頭を赤くして、すっかりご機嫌です。
ついに、長棹のリュートも参加!
【バルコニーでの音楽会】(1624年)
右のリュートは7コース・ルネサンスリュート。
ボディの裏がシマシマ。イチイ材。
左は13コース・アーチリュート(調弦によってはテオルボ)。
「バルコニーでの音楽会」という設定で描かれた一連の絵は、
平面の壁なのに、その奥に部屋があるかのように見せかける「Trompe l'oeil」(だまし絵)の
手法が用いられています。
同様の作品をもう一枚。
【バルコニーの音楽家たち】(1622年)
彼自身の家の天井画として制作されたもの。
自分の家の天井がこんなだったら、落ち着きません・・・。
距離が遠くて(!?)リュートもアーチリュートも弦の数は不明です。
右上の角にもリュート奏者がいますが、手抜きな感じ。
天井に描いているうちに、首が痛くなったのでしょうか。
カラフルなオウムと犬が、人々の間からひょっこり顔を出していて愛嬌がありますね。
ここからは「蝋燭の灯りにぼんやり照らされるリュート」シリーズです。
光の使い方にカラヴァッジョの影響がうかがえます。
【取りもち女】(1625年)
7コース・ルネサンスリュート。
今までもフェルメールの作品などで登場したテーマ「取りもち女」。
参考記事:リュートカレンダー4月の絵
右の女性(娼婦)が「いいリュートでしょ? 新しく手に入れたの・・・」なんて
リュートの話題で 男の興味をひきつつ、
ちゃっかり 左端の取りもち老女が仕事を斡旋している場面。
オランダ語でリュートを示す “luit” が別の(卑猥な)意味があるという記事を
読んだのだけど、確証とれず。
うーん、オランダ語、恐ろしや。
【夕の宴】(1619年頃)
ルネサンス・リュートだと思われますが、詳細不明。
リュートを楽しみつつの、夕食風景。(右の3人は何をしているんだろう・・・)
【音楽の宴】(制作年不詳)
リュートについては詳細不明。
テーブルの上に、後ろが膨らんだタイプのバロックギターが伏せて置いてあります。
ほのかな灯りで熱心に楽譜を見ながら歌っている二人に対して、
リュート奏者はちょっと上の空な態度に見えます。飽きちゃってる?
【陽気な仲間】(1623年)
手前の男性の陰になっていて見づらいのですが、
中央の女性が、長棹のリュートを持っています。
「陽気な仲間」と題されているものの、左奥にぼんやりと(ちょっと怖い)立っている
赤ん坊を抱いた老女は「取りもち女」です。
すなわち、ここでもリュート弾きの女性は 娼婦です。
ここからは、バロックギターシリーズになります。
【ギターを弾く女性】(1624年)
楽器に落とされた影と右手の描写が、まるで「ぶれた写真」のような効果を醸し出し、
ラスゲアードしている右手の動きが感じられる作品です。
弦の張り方、左右の手の形など、とてもリアリティがあります。
【ギターを持つ女性】(1631年)
バロックギターを調弦する女性。やっぱり笑顔です。
ペグを回している左手の小指が立っている様が 微笑ましい。
バロックギターの2作品は、どちらも5コース、1コースは単弦、フレットはシングル巻き。
***
どの作品も内側から発光するような美しい肌の描写、
衣装(特に、頭につけた豪華な羽根飾り)にも見所がありますが、
今回はリュート、ギターの弦の数、フレッティングに絞って観察してみました。
(高解像度の画像を探し、拡大して観察してみた結果を書いていますが、
そのままデータをアップすると重くなってしまい、閲覧環境によっては見れない方もいらっしゃるので、
記事内には軽いデータを貼っています。)
1620年代には、もう10コースリュートがメインの時代かと思いきや、
案外、7-8コースも共存していることがわかります。
しかしながら、全体として印象に残るのは「楽器を弾く女性たちの笑顔が素敵!」ということ。
こんな風にリュートを弾きたいものですね。
小難しいことは、もはやどうでもいい。
画家の自画像はこちら。
リュートをいっぱい描いてくれて、ありがとう。
【今月のおすすめCD】
Paul O'Detteのニコラ・ヴァレのリュートソロ作品集。
Amazonプライム会員の方は現在、無料でダウンロード可能のようです。
グリーンスリーヴズ再考〜娼婦に振られた男の歌というのは本当か? [コンサートのお知らせ]
(リュートを弾くエリザベス一世)
イギリス・ルネサンス音楽、特にシェイクスピア関連のコンサートでは定番中の定番、
「グリーンスリーヴズ」について改めて考えてみたいと思います。
「緑の袖の愛しい人」と訳されることが多いこの作品、私はずっとモヤモヤしているんです。
「緑の袖」って具体的に何を意味しているのか、どうもよくわからない。
まずは、この作品について、よくある解説をまとめてみましょう。
【ルーツ】
スコットランドとイングランドの境界あたり。
16世紀、エリザベス一世の時代に遡ることができる。
シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」に曲名が出てくる。
他の資料などからも、17世紀の半ばにはイギリス人の多くが知っている流行曲だったことが明らか。
【音楽的特徴】
ロマネスカという定型バス(コード進行)に基づく。
有節形式。
歌曲の他、リュートソロ版、リコーダーと通奏低音の版などがある。
その後もこの旋律は様々なスタイルで編曲され続け、現代では「イギリス民謡」と認識されている。
イエス誕生の歌詞に差し替えたものもあり、クリスマスの讃美歌としても有名。
【歌詞の内容】
思いを寄せる女性に振られてしまった男の失恋の歌。
(歌の歌詞と日本語訳については後述。)
さて、ここからが問題。
◉この女性はどんな人物なのか。
1)緑の色が情欲を示唆するゆえに、性的に乱れた女性、あるいは娼婦という説。
2)ドレスは最初白かったが、草の上でのウフフ・・・なことにより緑に染まった説。
3)緑の服を着て若い男女が集う五月祭で出会った説。
などがありますが、いずれも「緑」に注目して派生した解釈と言えるでしょう。
では本当に「緑色」が性的な情欲を示す、あるいは
「緑色の服装」が娼婦という身分を表すものであったか、
服飾における色彩学のデータを見てみました。
(20ページにルネサンス服飾についての言及があります)
これによると、ルネサンス時代の衣装で多い色は、明るい赤と金色で、
暗めの紫と「緑色」がそれに続きます。
(ちなみに皆無だったのは黄色と青色。黄は罪人、青はマリア様の色なので、これは納得)
絵画での貴婦人の肖像画でも緑のドレスの女性は描かれている。
以上から「緑色が性的に乱れた女性を示す」というのは、あまり当てはまらなさそう。
そもそもの疑問として、通常、女性を賛美する歌の場合、
女性の瞳の美しさや、髪の色や、ため息をつく口元がどうのこうの、という様々な描写がされます。
それなのに、この歌は、女性の服装しかも「袖」をピンポイントで言及しているのは何故なのか?
◉そこで「袖」の部分に注目してみることにしました。
再び、服飾史を紐解いてみると・・・
・中世以降、男女の間で愛情を示すものとして「袖を交換する」風習がある。
・イギリス、ヘンリー八世〜エリザベス一世時代、袖の部分はアームカバー状の独立した部分で、
身頃とは別になっていた。着用する際は、その都度、細紐やリボン、ピンなどで留めた。
(肩の部分が膨らんでいたり、ケープ状の上着を羽織っているのは、継ぎ目を隠すため。)
・ルネサンス時代のファッションで一番装飾に力を入れたのが袖部分であり、
豪華な刺繍や宝飾品を縫い付けたものであったため、しばしば「贈答品」となった。
(ヘンリー八世の衣装目録や、エリザベス一世の贈答品目録に「替え袖」の項目あり)
当時は、「袖」に特別な意味があり、袖は簡単に取り外しができたということがわかります。
スカートやズボンの一部とかだったら、ちょっと困るかもしれませんが、
袖は引きちぎって渡してもそれほど困りませんしね。
卒業式に 男子生徒から学生服の第二ボタンをもらう、みたいな話でしょう。
このグリーンスリーヴズの歌の彼女は、愛情を示して男性に袖を贈ったものの、
何かの事情で(家同士の政治的な結婚とか)別れざるを得なくなった、
あるいは、よくある単純な心変わりをしてしまった・・・という状況なのではないかしら。
そのように考えると、
女性から贈られた「緑色の片袖」を手に握りしめつつ嘆いている男性
という情景が浮かんできます。
すると「緑の袖の愛しい人」の意味がすっきり!
今までの解釈だと、
「高嶺の花の娼婦に、人生も土地も貢いだ挙句、振られてしまい愚痴っている男性」と
「金をさんざん巻き上げた挙句、もっといいカモが現れたのでそっちにあっさり乗り換えたしたたかな女性」
(すごい悪意にみちた解釈・・・)という、とんでもない歌だったのが、
感動的な純愛物語・・とまでいかなくとも、普遍的な失恋の歌ぐらいには
イメージアップしたのではないでしょうか。
ここで「グリーンスリーヴズの絵画作品は無いんだろうか」と探したところ、これが。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作「My Lady Greensleeves」
ほらー、やっぱりこの女性はアームカバー状の袖部分を外して、持っているではありませんか!
男性に渡そうとしている場面なのでしょう。
最後にグリーンスリーヴズの歌詞を3番まで記載しておきます。
この3連が歌われることが多いですが、全体はもっと長く、また様々なヴァージョンがあります。
Greensleeves
1
Alas, my love, you do me wrong, ああ愛する人、ひどいじゃないか、
To cast me off discourteously. つれなく見捨てるなんて。
For I have loved you so long, ずっとずっと好きだったのに、
Delighting in your company. そばに居てくれるのが喜びで。
*
Greensleeves was all my joy グリーンスリーヴスこそわが喜びのすべて。
Greensleeves was my delight, グリーンスリーヴスこそわが歓喜。
Greensleeves was my heart of gold, グリーンスリーヴスこそわが黄金の心。
And who but my lady greensleeves. ほかに誰がいよう、わが愛しのグリーンスリーヴス。
2
I have been ready at your hand ずっと尽くしていたろう、かたわらで、
To grant whatever thou would crave; 望むものは何でもあげようと。
I have both waged life and land 生活も土地も注ぎ込んだ、
Your love and good-will for to have. あなたの愛と好意を勝ち取りたくて。
(* を繰り返し)
3
Well I will pray to God on high, では天の神に祈るとしよう、
That thou my constancy mayst see, この一途な気落ち、あなたがわかってくれるよう。
For I am still lover true, 今なおわたしは真の恋人なのだから、
Come once again and love me. どうか戻ってきて愛しておくれ。
(* を繰り返し)
CD「やすらぎの歌」(ソプラノ:名倉亜矢子、リュート:金子浩)の解説より転載。
訳:那須輝彦
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1)通常、「グリーンスリーヴス」と表記されることが多いですが、
今回の記事では、発音に近い「グリーンスリーヴズ」表記を採用しました。
2)替え袖をピンで留める話については、以前ガット弦の製造方法についての記事で紹介した本、
『図説「最悪」の仕事の歴史』でも詳しく取り上げられています。