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二人のリュート奏者、ロビンソンとダウランド [愛しのリュート達]


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トマス・ロビンソン(Thomas Robinson)の作品を取り上げます。

彼のリュート二重奏の作品は頻繁に演奏してきましたが、
ソロ作品を弾くのは、久しぶりです。
地味ながらもしみじみとした暖かさに満ちた作風です。

彼の人生については生没年すら不明ですが、ダウランドとの関連で俯瞰してみると、
ちょっと面白いかもしれません。


ロビンソンは、音楽家の父親と同様、エリザベス女王の側近セシル家に仕えていましたが、
20代でデンマークにわたり、フレデリック2世の妃ソフィーと王女アンの個人的な音楽教師となります。


フレデリック2世は1588年に崩御、息子クリスチャン4世の時代に。
デンマーク王室は優れた音楽家を他国から招聘しており、その一人としてやってきたのがダウランド。
ダウランドは、1598年から1606年の間デンマーク王室のリュート奏者を務めたとされていますが、
それについての公の記録はなく、ロビンソンがそう言及しているため、知られていることなんですね。

ちょうどダウランドがデンマークにやってきたのと同じ年、
1598年、ロビンソンがリュートを教えていたアン王女は15歳で、
スコットランド王ジェームズ6世の妃としてお嫁入り。


その5年後、イギリスでは1603年エリザベス1世が崩御し、
スコットランド王ジェームズ6世はイギリス国王ジェームズ1世を兼ねることに。
当然、その王妃アンもイギリス国王妃に!


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アンの肖像画(首の美しさを讃える言葉が残されています。そこが褒めどころって、笑。)


イギリスでアンは、芸術活動の庇護に力をいれヨーロッパでも有数の文化サロンを主宰。
(ああ、その音楽教育を施したのはロビンソンなのだ!と思うとなんだか嬉しいな。)


ロビンソンに関する情報は少なく、いつイギリスに戻ったのかも不明なのですが、
残る手がかりは、楽譜の出版のみ。
3冊目の曲集を1603〜1609年にロンドンで出版します。

リュートソロと二重奏の作品を含む2冊目の曲集「The Schoole of Musicke」は
ジェームズ1世に献呈され、献辞にはデンマークでアンに教えていたことも書かれています。
教則本でもあるこの曲集の宣伝文句としては、最強でしょう。


この曲集には「The Queen's goodnight」や「The Queenes Gigue」など
王妃にちなんだ曲名の作品がありますが、これはアンを示していたのですね。
(今まで、何回も演奏しておきながらエリザベス一世だとばかり思っていましたよ。・・・)

3冊目のシターン曲集を出版したのが1609年。
それ以降ロビンソンについての記録は何も残っていません。


一方、ダウランドは、というと、1606年までデンマーク王に仕えたのちにイギリスに戻り、
1612年イギリス国王付きのリュート奏者になったものの、
その時の国王は、ジェームズ1世であり、憧れのエリザベス1世ではなかったんですよねー。
ダウランドが晩年、イマイチだった気持ちがちょっとわかる。・・・


デンマークやイギリスでも、この二人のリュート奏者は顔見知りだったと思われますが、
距離感や関係はどんな感じだったんでしょう。
いろいろと妄想が膨らみます。



楽譜「The Schoole of Musicke」はPublic Domainとなっているため、無料で閲覧できます。




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