道化師ケンプの悲哀と野望、その顛末〜「ケンプのジグ」裏話 [コンサートのお知らせ]
シェイクスピア劇において道化は重要な役どころですが、
リュート曲の中に道化の名前を冠した作品が二曲あります。
「道化師ケンプのジグ」(作者不詳)と「道化師タールトンの復活」(ダウランド作曲)です。
この二人の道化師とシェイクスピア、さらにダウランドとの接点、
そしてこれら芸術の総監督とも言えるエリザベス一世について、
簡単に整理しつつ、この二曲の曲目解説を試みてみましょう。
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シェイクスピア、女王陛下の一座と出会う
1583年、エリザベス一世は民衆の劇団からメンバーを選抜し、
自らの名前を冠した一座を結成、民衆演劇の直接の庇護者となります。
それまで宮廷道化師を雇うのが慣習であったのに対して、
女王と民衆が同じ劇団俳優、同じ娯楽を楽しんだということが、
他の国や他の時代には見られぬ大きな特色であったと言えましょう。
この女王陛下一座は1587年ごろには全国各地を巡業しますが、
その巡業先の一つにシェイクスピアの生地、ストラトフォード=アポン=エイヴォンがありました。
タールトンの妙技、一人楽隊
この時、劇団の中心的な喜劇役者はリチャード・タールトン Richard Tarlton。
劇団結成当時からのメンバーで、ドタバタ喜劇役者として大評判をとり、女王のお気に入り。
さらに、この巡業にはもう一人、入団したばかりの若いウィリアム・ケンプが参加しています。
この巡業公演を 23歳のシェイクスピアが観た可能性があり、
これが彼が劇作に関わるきっかけになったのではないかと言われています。
太鼓と笛による一人楽隊の妙技を披露しているタールトン。
タールトンはこの翌年、肝臓病で亡くなります。
その後を継ぎ、シェイクスピアの初期の作品で喜劇俳優を務めたのが、
ウィリアム・ケンプ William Kempe でした。
タールトンについては次回の記事でも触れますが、
ここからはウィリアム・ケンプに焦点をあてていきます。
リストラされたケンプの悲哀
ケンプもまた、アドリブを連発しながら跳ね躍る伝統的なスタイルの道化役者でしたが、
やがて、シェイクスピアは「言葉による表現」を重視するようになり、
新しい道化役を求めるようになります。
すなわち、学識に裏打ちされた機智、人の心を読み取る眼、哀愁を感じさせる雰囲気、
歌唱力を備えた道化です。
このシェイクスピアの要求に応えられなかったケンプは1599年退団を余儀なくされ、
グローブ座の株を売却して(!)去っていきます。
相棒が太鼓と笛を担当。ケンプの得意技は モーリスダンス morris dance。
「ケンプは脛に小鈴をつけて踊りながら、ロンドンからノリッジまで約9日間を練り歩いたという。」
「ケンプのジグ」の解説としてよく語られてきたエピソードですが、
これを現実的に考えてみたいと思います。
ロンドンからノリッジまでの距離は、約100マイル=160キロ、
東京から静岡の距離に相当します。(思ったより近かった・・・)
160キロを9日間で移動するとなると、1日あたり約18キロ、
単純計算で成人男性が歩く速度は平均4.5キロ/hとして、
1日のうち、4時間歩いていることになります。
江戸時代に旅をする人は、1日のうち8-10時間は歩いていたので、
それと比較するとそれほどハードなことではない、
つまり、ケンプの目的は「ノリッジまで移動すること」ではなかったと言えます。
ではケンプの目的は何だったのでしょうか?
ジグに賭けたケンプの野望
実は、ケンプは、この踊りながら移動する道中でお金を稼ぎ、
その後はその旅行記をまとめた本を書くことでお金持ちになることを計画していたのです。
「自分を必要としない劇団なんかやめてやる!
独立してストリートダンサーになるんだ!
そしてノンフィクッションを執筆して大儲けするんだー!」といったところでしょうか。
株を売却とか、起業とか、書籍執筆とか、道化師の話とは思えない展開ですが、
その心中を察するに、むしろ富への野望というより、
男の一分を立てるために、ロンドンからノリッジまで踊り歩いたとも言えるでしょう。
その結果は果たして・・・。
現実は厳しく、道中の踊りに多くの投げ銭はもらえなかったようです。
しかし、本は執筆し、1600年に出版され、現存しています。
その名も「ケンプ奇跡の9日間」!(いいタイトルだ。)
・・・これがベストセラーになったという話はありません。
また別の記録によると、
「アルプスを越えてローマまで踊りながら旅をしたが、
ヘイ・ホウ!の掛け声で躍るスタイルはヨーロッパでは受けず、興行的に失敗」したらしい。
最終的には、イギリスに戻って別の劇団に所属し、1603年に死亡。
何だか、いまどきの無謀な起業家の話みたいで、切なくなりますね。
軽快なリズムと親しみやすいメロディーの「道化師ケンプのジグ」。
技術的にも平易なので、初心者向けの教材としてもよく用いられますが、
その裏にはケンプさんのリストラされた悔しさと、野望が隠されていたというわけです。
作者不詳「道化師ケンプ」についてはここまで。
次は、ダウランドの「道化師タールトンの復活」に続きます。
参考書籍はこちら。視点が面白い。読みやすい本でした。