「夏の夜の夢〜シェイクスピア時代のリュート音楽」によせて [コンサートのお知らせ]
北海道でのリュートソロコンサート「夏の夜の夢〜シェイクスピア時代のリュート音楽」によせて、
チラシ裏面に記載している文章を掲載しておきます。
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リュートという楽器の存在を知ったのが13歳のとき。
その10年後にリュートを手にして以来、息をするようにリュートを弾く生活を続けてきました。
16世紀の人々の暮らしや街の風景について想いを巡らせながらも、
あまりに遠い距離と時間に途方に暮れることもしばしば。
その一方で「人の生活の基盤にあるものは、どの時代もたいして変わらないのではないか」という気もしています。
さて、今年はシェイクスピアの没後400年の記念年にあたります。
彼が活躍した時代はリュートが盛んだった頃とピッタリと重なり、作品にもリュートが登場します。
彼の作品が今なお世界中で愛されているのは、そこに普遍的な何かがあるからなのでしょう。
今夜のプログラムはシェイクスピアの頃のイギリス音楽でまとめてみました。
これらは優れた作品であり、また親しみやすい魅力に溢れているがゆえに
(シェイクスピアの記念年であろうとなかろうと)私が長年愛奏してきたものです。
今回はルネサンスという時代への、そしてリュート音楽という世界へのガイド役を
シェイクスピアにお願いしてみるのも一興かと思った次第。
とりもなおさず、リュートという楽器の魅力の一つは、
シェイクスピアの次の言葉によって端的に言い表されているのですから。
《オルフェウスがリュートを奏でると・・
それを聴いたものは皆、海の高波さえも波頭を鎮めて凪いでしまう。
その甘美な音楽に、心配事や深い悲しみは眠りにつき、
やがて安らぎのうちに消えていく。》(『ヘンリー八世』)
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プログラム詳細について、文末の「ヘンリー八世」中の詩については、また追って別記事にて書きます。