高度経済成長期とピアノ文化について [お気に入り]
先日、ある書き物をしていて何気なく、
「・・・あたかも高度経済成長期におけるピアノのような役割を」という喩えを書きかけて、
「これは自分の実感としては確かにあるのだけれども、データとしてはまとめたものがあるのだろうか?」
と思ったのだった。
昭和30年代から50年代にかけてのピアノ(のお稽古)の普及と、
その背景にある社会的状況に関連はあるのか、あるとしたらどのように関連していたのか。
自分の子供(特に女の子)にピアノを習わせようとしたあの世代の母親たちの心情は何だったのか。
論文を検索したら、あっさりと目的のものが見つかった。
慶応義塾大学大学院社会学研究科の紀要に掲載されている
面白いのは、筆者が「オーラルヒストリー・インタビュー」という方法で、
いろんな世代の人にインタビューを行い、分析している点である。
明治期の洋楽導入期から戦前、そして高度経済成長期へと、ピアノに対する距離感が変化していく様子が
インタヴューで答えている人々の言葉で語られていく。
こういうところは、文献だけに頼らない、社会学らしさが感じられて新鮮だ。
もちろん数字のデータの裏付けもなされている。
そして、高度経済成長期におけるピアノ文化とは「大衆層」を支持基盤とする「高級文化」であり、
その受容者層にとって「大衆文化」からの差異を図るものであった、という結論に至る。
その背景としてヤマハ音楽教室があるわけだが、その社長が目指していたものについての話も、
このところ、古楽が「聴いて楽しむだけ」だった時代から
「演奏して楽しむ」時代へと移行しているように思える最近の古楽事情の将来を考える上で、
何かヒントが見つかりそうな気がする。
母親と娘の「ピアノのお稽古」を巡る心理についても分析されているが、
やはり、と思う。
この対立構図は、今でも(社会状況や経済状況に関係なく)多少はあるように見えるが、
単に「自分が果たせなかった夢を子供に託す」というどこにでもある親のエゴの問題なのか。
子供にピアノを習わせているけれど ちっとも練習しなくて困っている、とか、
音楽の趣味をめぐって親子喧嘩することが多い、という悩みがある方は、
音楽の深層にあるそれぞれの心理を客観的に見つめ直すきっかけになるかもしれない。